faces and portraits (2026)
『Three faces and portraits』
視覚的情報だけを頼りに撮っているんじゃないことがわかってからは、撮影した写真を単独で見せるより、何かに使うみたいな感覚が芽生えました。
割とアブストラクトな感じになってきて、ディテイルや質感、もっと漠然とした雰囲気とか気分といっては曖昧だけど、空気を感じて撮っています。
空気感、気配など観念や感情の向こう側の曖昧なニュアンスが残るように四角、三角、丸っこい、、、フレームをイメージしてワンカット、ワンカットって感じで、目の前のフィルム、印画紙、私家版を破って、さらに増殖していくように混ぜて貼ります。
写真の粒子の物質を構成する粗い粒、粉、埃も浮かべ写真の断片を定着、表現しています。
Three Faces and Portraits
After realizing that I wasn't relying solely on visual information when taking photos, I started to feel like I wanted to use the photos for something rather than just displaying them individually.
My work has become more abstract; I'm capturing details, textures, and more vague feelings and moods—it's ambiguous to call it that—by feeling the atmosphere.
To preserve the ambiguous nuances beyond concepts and emotions, such as the sense of atmosphere and presence, I imagine frames—squares, triangles, rounds, etc.—and take one shot at a time, tearing up the film, photographic paper, and private prints in front of me, mixing and pasting them as if they were multiplying.
I also incorporate the coarse grains, powders, and dust that make up the material of the photograph, fixing and expressing fragments of the image.
『レコードカバーのようなもの』
現実とフィクションどっちでもない、割と具体的っぽく見えるけど、抽象的な要素の混ざったバランスがずっと好きです。
写真で表現したい形が定まらない時、棚と段ボールのなかのレコードをかけ、自分のなかの何かと一瞬でも交差したら、ひたすら反復していく作業に没入していけます。
結局単純に写真が撮りたい、破って重ねて貼りたい、何か理解できないものをつくりたい、という欲求は無意識をどうやって表現するかに繋がっています。
偶々できてしまった時の驚き、イメージと相反する謎の行為、ほんとその場その場のインプロビゼーションです。現実とフィクションを混ぜて、それ以外の余分なものも結構入ってきたり、ひとつの答えに向かっていかないように一寸工夫が必要です。
今年もあと少し。仕事、終わったんだか終わってないんだか、すでにのんびりしています。大掃除はせず、フィルムをスキャンしたり写真集をコラージュしています。ここ数日、近所のスーパー、薬局はだいぶ混んでいました。
この年末は天下茶屋の二等車で河合止揚氏の個展『中国雲南省昆明留学日記』を観たり、海外旅に出たくても出てないから、鶴橋コリアタウンのオヂェパメンで釜山名物デジクッパ、蒸し豚を食べたり、久々に心斎橋筋の功夫ラーメンで台湾牛肉麺、ルーロー飯を食べたりしてました。あとは西成で撮影(散歩)とリフティング。この夏は風通りのいい道を歩き、冬は日当たりのいい道を歩きます。夏の夜の公園は蒸し暑かったけど、冬だと寒く、寒風の向かい風のボールタッチはつらいのです。すぐ家に引き返したくなります。それでも足を動かしていると段々体が温まってきて、もっと蹴りたくなるから、気分もよくなります。
「自分はこれから何をしたいんだろう」と考えながら、取捨選択をして、時間がかかります。それをしないと、先に進めない気になりますが、何を撮る(つくる)かで、悩むひまがあったら、とりあえず、何かを撮って(つくって)それから悩んだほうがいい。……という言葉がまた浮かびます。
わたしの写真は達成感が全然なくて、今日いいと思ってみても次の日にはよくなかったりとか。なので撮ったことを忘れてしまうくらい寝かせて、時間が経ってあらためて見る方がちょうどいいみたいです。そうして自分が言ってたことと写真の内容がズレてきたら面白くなるぞ、とひらめきました。ズレることによって、そこに新しい何かが立ち現れ、つぎの写真が生まれるから。これからもズラしていく、あり方を採りたいです。今、日本酒で一寸ほろ酔いです。
思い返せば、この一年は一度も病院にお世話にならない体調良好な年でした。今さらながら、健康だと酒と珈琲がうまい、このペースで行きたいです。2025年いろいろありがとうございました。よいお年を。